テレビ番組や競馬雑誌などで「思い出のレース」「感動のレース」などといった定番ランキングがよくありますよね。
そういったランキングでは必ず上位というかほぼ1位確定のようなレース、それが1993年の暮の大一番、第38回有馬記念ではないでしょうか。
我が最愛のサラブレッド、トウカイテイオー奇跡の復活と呼ばれる思い出のレースであり、何度見ても泣ける感動のレースであります。
当時は私が競馬を始めて約5年、職場に競馬好きの同僚も多く完全に競馬にどっぷりハマったころでした。
1991年、父シンボリルドルフに続き無敗で皐月賞と日本ダービーを制し二冠馬となったトウカイテイオーでしたが、まさかの骨折で菊花賞断念。休養後、翌年の産経大阪杯(G2)に出走し見事な勝利で復活しながら、「世紀の対決」とも言われた天皇賞・春では最強ステイヤー、メジロマックイーンの後塵を拝しまさかの5着敗退。そして続く天皇賞・秋では超ハイペースに巻き込まれて掲示板にも載らない7着(あのハイペースで先行しながらよく残ったのですが)。
このころから「トウカイテイオーはもう終わった」との声も聞かれるようになります。が、続くジャパンカップでは5番人気ながら世界の強豪を蹴散らしての復活勝利(単勝10倍いただきました!)を飾ります。
ところがどっこい、暮の有馬記念では1番人気に返り咲くもスタート直後に腰を捻ったらしく再びまさかまさかの2桁着順で、11着と大敗。まさに波乱万丈ですね。
このあたりで世間のトウカイテイオーに対する評価は完全に下降線だったように記憶しています。
しかし自称テイオーフリークの健兵衛としては「まだまだ、絶対に諦めない!」「テイオーは強い!」の気持ちは全くゆるぎませんでした。
翌年の宝塚記念での復活にはかなり期待していましたが、またしても剥離骨折からの休養入り。
そして結果的に前年の有馬記念から1年ぶりとなる第38回有馬記念が復活の舞台となります。
その週の水曜日、競馬仲間数人と有馬記念検討会と称した飲み会をしました。
酒を酌み交わしながら皆が本命馬を「ビワハヤヒデ」「レガシーワールド」「ウイニングチケット」など有力馬の名をあげる中、健兵衛は言いました。
「今の時点で一番強いのはビワハヤヒデかもしれん。だけど勝つのはトウカイテイオーだよ」
競馬仲間の一人が言いました。
「テイオー好きの健兵衛さんの気持ちはわかるけど、無理でしょwww」
言い返しこそしなかったものの、心の中では「チクショー見てやがれ!後で吠え面かくなよ!」とさらに有馬記念に臨むテイオーへの熱い思いを強くした健兵衛でした。
そして迎えた大一番。パドックではあのグニャグニャとした特徴的で超柔らかくクッションの効いた繋。本馬場に出て弾むようなテイオーステップからの返し馬。デキはカンペキに見えました。
そして鳴り響くG1ファンファーレ。テレビの前で思わず正座(マジです)をしていました。
ガシャン!
「スタートしました!メジロパーマー、ぽーんと好スタート、あとはほとんど一団であります。そして、トウカイテイオーあるいはベガが内から接近してまいります・・・」
レース中盤もテイオーは好位をキープ、3コーナーあたりから力強く仕掛けていきます。4コーナーを回り直線を向くと、
「・・・あとは中をついてスーッとトウカイテイオーが来たぞ、トウカイテイオーが上がってきた、レガシーは現在4番手争い、200を切って坂を上がってくる、ビワハヤヒデ、トウカイテイオー2番手の位置、ナイスネイチャ追い込んでくる、パーマー後退、レガシー4番手、トウカイテイオーだ、トウカイテイオーだ!1年ぶりの復活ゴールインっ!トウカイテイオーお見事!そしてビワハヤヒデ2着!」
と、なにげにラジオたんぱ版の実況をコピーしましたが、当時はグリーンチャンネル始まってなかったので自分は多分NHKかフジ系の競馬中継を見ていたはず。そこはよく覚えていません。
4コーナーを回り直線を向いてからはもう逆に声も出ませんでしたね。
そしてゴールの瞬間には涙がブワッと溢れ、なぜかこの年9月に生まれたばかりの次女が寝ている布団に駆け寄って「テイオーが勝った、テイオーが勝ったよぉ!」とわんわん泣いてしまいました。次女はポカーン、妻は苦笑していましたが(笑)
後にも先にも、あれほど感動し涙したレースはありません。
世間では「奇跡の復活」と言われたこのレース、勝つと信じていた健兵衛に言わせれば
「奇跡なんかじゃない、トウカイテイオーは勝つべくして勝ったんだよ」
今でもそう思っています。
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