またまたトウカイテイオーのネタになってしまうのですが、天皇賞(春)の思い出といえばやはり「世紀の対決」と言われた第105回天皇賞(1992年)が思い浮かびますね。
前年の勝ち馬で連覇がかかる「最強のステイヤー」の呼び声高いメジロマックイーン。
対するは、菊花賞を断念し三冠こそ逃すものの復帰戦の産経大阪杯を制し、無敗で春の盾に挑むトウカイテイオー。
実は初めてナマで見たG1レースがこの第105回天皇賞だったのです。
当時はG1レースは前売入場券が必要だったため、事前に競馬仲間といっしょにWINS広島まで買いに行きましたね。
迎えた春天ウィーク、競馬仲間とともに京都には前日入り。
さすがに30年も前のことなので天皇賞以外のことはほとんど覚えていないのですが、唯一覚えているのが天皇賞当日の午前中のレースで大万馬券が出たこと。TARGETで調べたら、第3競走3歳未勝利の18頭立てのレースでした。
競馬仲間たちとは現地ではバラバラでそれぞれ競馬を楽しんでいたのですが、3Rの前にパドックで会った友人と「こんな多頭数で訳わからんレースは(頭数の多い)7枠と8枠でいいんじゃないか?」「だよな~w」なんて軽口を叩いていました。
そのまま友人と別れてレースを観戦。するとなんと、8枠17番(10番人気)と7枠14番(17番人気)で決着したではありませんか!枠連7-8はさほどでもありませんでしたが馬連14-17はなんと14万馬券。馬単や3連馬券がまだなかった当時では驚きの高配当でした。
そのあと再び友人に会ったとき「もしかして買った?買ってた?」とお互いに聞くも、そんな軽口のままに買っているわけもなく(笑)
とにかくこのときの「14-17」という馬番の組み合わせだけは今でも覚えているのです。
さて肝心の天皇賞。トウカイテイオー大好きな私はパドックを取るかレースをとるか大いに悩み、泣く泣くパドックをあきらめレースに集中することにしました。本当はあのテイオーウォークを目の前で見たかったのですが。
というのも、当時はG1レースともなればありえないほどの人間が競馬場を埋め尽くしましたので、パドックを見てからスタンドに行ったのでは身長的にミニサイズの私がレースを見るのはほぼ不可能だったのです。本当にギュウギュウで、そこらへんでは見える見えない「どけろ!」「なんでや?」といった言い争いも。
前に人が立たない場所をなんとかキープできたので、初めて生のテイオーを見ることができテンションは爆上がりでした。
当然メジロマックイーン(も大好きな馬でした)とトウカイテイオーの一騎打ちになり、最終的にトウカイテイオーが勝つ姿を想像して、心臓もバクバクでしたね。
レースがスタートし、一周目のスタンド前ではトウカイテイオーが前を行くメジロマックイーンをしっかりとマーク。大きな拍手が起こります。1コーナー、2コーナーとレースは淡々と進みますが、淀の坂でメジロマックイーンが動いてついに先頭へ。そして坂を下りながらトウカイテイオーがこれを外からピッタリとマークするように追い上げる。この時点で「ああ、ついに世紀の対決に決着がつく!今、俺は歴史的な瞬間に立ち会っているのだ!」と感じていました。
ところが・・・
4コーナーを回ったあたりでトウカイテイオーの脚色がわずかに鈍る中、先頭を行くメジロマックイーンはますます加速。その差は絶望的に広がっていくのでした・・・。
眼の前をもがきながら通り過ぎていくトウカイテイオー。
もうショックでショックで最後の直線では声も出ず、下手すると涙が出そうでした。
そしてメジロマックイーンは圧勝で2連覇を達成。トウカイテイオーは大きく差をつけられた5着に沈み、初めての敗北を喫したのでした。
テイオーが負けた。「最強のステイヤー」メジロマックイーンにさえも勝てると信じていたテイオーが負けた。
そのあとどうしたのか全く覚えていないですね。時の流れもありますが、そこで記憶が途絶えている感じです。
あれから30年も経ったのか・・・
そして今でも競馬を楽しんでいる自分がいる。
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