菊花賞の思い出【ライスシャワー】

牡馬の三冠レースについては昔から「皐月賞は最も速い馬が勝つ」「ダービーは最も運のいい馬が勝つ」「菊花賞は最も強い馬が勝つ」と言われています。

皐月賞は3歳の春の時点で流れによっては1分58秒を切るようなタイムで2000mを走り抜けるようなスピードが必要です。またそこまで成長している「早さ」も必要と考えられます。

ダービーは全てのホースマンが目指すレースであり出ること自体が超絶狭き門。さらに出られたとしても今でこそフルゲート18頭ですが昔は20数頭も走る時代がありましたので、外枠に入った日にゃあその時点で絶望です。
また枠順が良かったとしても超多頭数の中、馬群に包まれて進路がなくなれば終わり。力だけでは勝てない、運がなければ勝てないレースなのです。

そして菊花賞。
3歳の秋は人間で言えば思春期に少年から大人に変わる、壊れかけのRadio、いや充実のとき。菊花賞を制するのは、淀の坂を2度上って下り3000mを走り切るスタミナを身につけた男の中の男、「漢」と書いてオトコと読む感じか?(よくわからん)
真の力を身につけた馬でなければ勝てないのです。

過去の勝ち馬を見てもナリタブライアンやディープインパクト、オルフェーヴルといった三冠馬はもちろんのこと、メジロマックイーンやビワハヤヒデ、マヤノトップガン、ゴールドシップ、キタサンブラックなどウマ娘プリティーダービーでも人気の名馬たちが名を連ねています。やはり歴代の菊花賞馬は「確かに強かったよね~」と思い出せる馬のオンパレードなのです。

さて、そんな名馬たちの中で思い出の1頭に挙げたいのはライスシャワーです。
皐月賞は8着、NHK杯(当時G2、2000m)も8着といいところはありませんでしたが、ダービーでは16番人気の超低人気をはね除けてなんと2着の大激走。さらに秋には菊花賞の前哨戦ともなるセントライト記念、京都新聞杯で連続2着と期待は高まります。

そして迎えた本番、菊花賞。
ライスシャワーの前に大きく立ちふさがったのが二冠を制しているスターホースのミホノブルボンでした。ミホノブルボンにはスプリングS、皐月賞、ダービー、京都新聞杯と4度の対決でいずれも完敗。

そしてなんと言ってもミホノブルボンには「無敗の三冠」がかかっていたのです。

前年にはトウカイテイオーが無敗で皐月賞とダービーを制しながら、骨折のため菊花賞を断念せざるを得ず父シンボリルドルフ以来の親子二代で無敗三冠のチャンスを逃していただけに、競馬ファンのミホノブルボンに対する無敗三冠への期待は相当に高まっていたのです。

血統的には距離不安を言われましたが「鍛えて馬は強くなる」で有名な戸山為夫調教師による坂路スパルタ調教で究極に鍛え上げられたミホノブルボンは、単勝1.5倍と多くの人がその勝利を信じていました。もちろん私もその一人です。

ミホノブルボンは逃げ宣言のキョウエイボーガンを先に行かせて道中は逃げ争いせずに2番手で堅実に進みました。スタミナを温存しながら4コーナーでついに先頭に立ったときもまだ余力があるように見え、いよいよ無敗の三冠達成の瞬間を見られるぞっ!と思ったそのときでした。
外から迫る黒い影。
ミホノブルボンと内から鋭く伸びてきたマチカネタンホイザを加えた激しい追い比べの末、1着でゴールを駆け抜けたのがライスシャワーでした。

ゴール後の場内のあのなんとも言えない雰囲気。G1レースのゴール後、しかも2番人気の馬が勝ったとは思えないようなどよめき。

菊花賞でミホノブルボンの三冠達成を阻止し、後にはメジロマックイーンの天皇賞・春3連覇を阻止するというある意味「憎まれ役」的な立ち位置で「刺客」とも呼ばれたライスシャワー。
一方で誰もがその強さを認めるステイヤーとして名を残しています。

そして最後のレースとなった宝塚記念。当時私もテレビ中継を見ていたのですが、あの瞬間は思わず声が出てしまいました。
今回これを書くにあたって久しぶりにレースの映像を見ましたが、ちょうどカメラが映している瞬間のあまりにも絶望的な崩れ落ち方で、当時もそれ以降のゴールの部分がまったく頭に入ってこなかったのを思い出しましたね。

「淀を愛した、孤高のステイヤー」ライスシャワー。もし彼が生きていたら、あのあとどのような成績を残し、そしてどんな産駒を残していたのでしょうか。

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