スプリンターズステークスの思い出【サクラバクシンオー】

スプリンターズステークスは中山の芝1200m、電撃の6ハロンなどと言われておりますが、まさに電撃のスピード争いで一瞬も目を離せない1分ちょっとの戦い。

大人気ゲーム「ウマ娘プリティーダービー」のおかげで、それこそ自分が競馬にハマった頃の往年の名馬たちがすっかり有名になっていますが、そんな中でスプリンターの代名詞として真っ先に頭に浮かぶのは、やはりサクラバクシンオーですね。

とにかくスプリントレースでは強かったサクラバクシンオーは、1993年、1994年とスプリンターズステークスを連覇しています。ちなみに当時は暮れ(12月)の開催でした。

「サクラ」の冠名といえばさくらコマースですが、勝負服はその名のとおり桜色が美しい「桃,白一本輪,桃袖」です。
そしてこの勝負服が最も似合う騎手といえば、やはり小島太さんでした。
サクラといえば小島太騎手、そして境勝太郎調教師という黄金のコンビネーションがとても有名でした。境さんもなかなか楽しい方でしたね。

93年のスプリンターズステークスでは前年の2着馬にしてマイルの王者、「そよ風というには強烈すぎた」ヤマニンゼファーが1番人気でしたが、その追撃を見事に振り切って勝利を手にしたのです。
JRAレーシングビュアーで当時のレースを見てみると、3番手追走から4コーナーを回っても持ったまま楽々の手応えで、直線半ばから追うと一気に伸びて後続を突き放すという、スプリントレースとは思えない強い勝ち方です。

このレースの数日前に小島騎手がオヤジと慕っていたオーナーの全演植さんが亡くなったこともあり、オーナーに捧げる最高の勝利だったのでしょう。
3着のニシノフラワーも前年のチャンピオンでしたし、私の中でも快速馬というイメージでしたから、これらを押さえての勝利はこの時代最強のスプリンターといって間違いないでしょう。

そして翌94年のスプリンターズステークスが引退レースとなります。
好位にスッとつけて無理なく流れに乗り、4コーナーでスピードを上げると海外からの刺客を含めて他馬はもうついてこれない。楽々抜け出すと1分7秒1という当時の1200m日本レコードで駆け抜け、有終の美を飾りました。

最強のスプリンター、サクラバクシンオー。
父としてグランプリボスやビッグアーサーを、そして母の父としてキタサンブラックを輩出。
その血はこれからも脈々と引き継がれていくんですね。

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